そもそもの私の精神世界との因縁(?)

そもそも、私と精神世界関連の因縁(?)は、実は深いものがありました。
幼いころに、難病発病。その後いったん症状が落ち着いたことから難病指定も受けず、普通に生活しているつもりでした。
甘えも多少あったでしょうが、それでも、毎日が体がつらい。つらいからとため息をつくと怒られる。 なんともいえない状態でした。
中学で不登校になったこともありました。高校でも不登校しました。それでも、どこか「よい子」の枠から外れられなかった私は、半端に休んだだけで、すぐ復学しました。
大学にいき、友人も増えました。
17歳で、病気の検査をしたときも、まったく何にも引っかからず、異常なしのお墨付き。
安心しきっていました。

20歳の時、まぶたが下がり目玉が片方動かなくなり、大学病院へ。以前MGだったこともあるし、と、入院して検査・治療の日々。目玉は休むことでやがて直り、「精神的なもの」という不可思議な診断がついて、退院となりました。そのときの研修医の方は、一生懸命ではありましたが、どこかぴんとのずれた返答をなさる方で、必死で耐えて張り詰めている状態で「完璧な人間などいないのだよ」と、余計な一言(今思えば、力を抜くようにといってくださったのでしょうが、そのときの私には余計に医者嫌いになる一言でした)をいわれたり、で、その病院はいまだに苦手です。

その後、22歳の時に、胆石をとる為、別の病院に転院、その病院で今の主治医である先生に出会いました。その後、23歳で再発、そのときはテンシロンテストで改善があり、病気で間違いないだろうということで、3ヶ月の長期入院と相成りました。

入院中は、ひたすら薬を飲み、休む日々。だんだんと苦しくなり、おかしくなり、周りに当り散らしたり、友達になきついたり。親に「どうせ私なんかいらんのやろ!」と、今思えばなんじゃそれはというような八つ当たり電話をしたり。うわ、ろくなことしてないな、私(苦笑)

そんな時、宗教によりどころを求めるか、精神科に受診するか、という不思議な選択肢の中にありました。宗教に救いを求めようと、キリスト教へ心惹かれましたが、そのとき偶然同室になった年配の方が、圧迫骨折で入院なさっておられたのですが、口を開けば「死にたい」とおっしゃるような方で、聞いているほうが苦しく、あまりのことに「治る病気でいいわね、おばあちゃん!」などと捨て台詞を私が言ってしまうという顛末。その方がキリスト教の信者であり、教会の方らしき人がこられてましたが、その出来事で幻想は消えました。

神は、いない。
誰も私を助けてくれない。
信じることは意味がない。

そんな苦しい思いの中にいた時期でした。

まぁ、その後の5年程度の闘病生活の中で、気がつけば、穏やかに変わる山の風景、朝日の心地よさ、自然の中にある暖かさに、幸せを感じられるようになり、少しは落ち着いてきたのですが。

いいじゃん。別に、特別な神様を信じなくても。
そこら辺に神様いるし、いわしの頭も信心じゃん。

そういう思考の人間が、一斉ヒーリングを受ける気になったのが、まずはひとつの不思議かもしれません。